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執筆者の写真久 小宮

小宮久 は なぜにコンゴ民主共和国に行ったのか?

更新日:2022年8月13日

初めてこの地を踏んだのは2000年 第一印象は 北斗の拳の場所が本当に実在するんだと驚愕した。 まず簡単に地形などを説明する。

コンゴ民主共和国は、赤道直下で意外と大きく広さは西ヨーロッパとほぼ同じ。

非常に雨と雷が多く地球上で最も多いそうだ 年間降雨量は2,000ミリを超え、世界二位の熱帯雨林が存在する。コンゴの名前は昔存在したコンゴ王国に由来する。流域はコンゴの経済・輸送のかなめであり、日常生活に大きく影響している。アフリカ大地溝帯にあるボヨマ滝の下流のキサンガニから西に、その後ゆっくり南西に向きを変えムバンダカからウバンギ川と合流し、プールマレボに向かう。キンシャサとブラザヴィル(コンゴ共和国)は対岸同士である。コバルト、銅、カドミウム、ダイアモンド、金、銀、亜鉛、マンガン、錫、ゲルマニウム、ウラン、ラジウム、ボーキサイト、鉄鉱、石炭がすべて豊富にあり、

カタンガ地方に集中する。2002年1月17日に噴火したニーラゴンゴ火山の溶岩は幅50m、時速60kmの早さで流れてゴマ市付近を襲い、45人を死亡させ12万人の家を奪った。40万人が避難し、キブ湖の魚が全滅した。半年後には近くのニャムラギラ火山も噴火し、2006年に再噴火している。陸上国境線と海岸線の合計のうち海岸線が占める割合が0.3%しかなく、準内陸国に分類されている。この0.3%という値は世界に存在する8つの準内陸国の中で最も小さいが、東京と名古屋間ほどの海岸線を所持する。

当時は、まだ ローレンスカビラ大統領が存命で 内戦真っただ中でした。

イスラエルに住んでいた事もあり、戦争、銃、武器、戦車、戦闘機など見る事触ってしまう事などには左程アレルーギーは、無かったが、本当の戦場に来てしまったと少し後悔しましたのを鮮明に覚えています。

元来 家族が、神奈川県平塚で貴金属商売をしていて その関係からダイヤモンドビジネスに入り いつかは、ダイヤモンド鉱山を取得し原石から加工したい商売したい 一体 あのデビアス、DTC、アングロアメリカンは、どのくらい儲けているのか、どんな商売、ビジネス構造なのか、非常に興味と経験したくて反対の意見が、多数ある中で百聞は、一見にしかず コンゴ民主共和国 キンシャサの地を踏みました。

自分の人生の中で一つの国が、革命から新しい国になるなんて

まして自分の仕事ダイヤモンド産出世界一のザイール共和国が、無くなるなんて

強烈なタイミングとチャンスだったのです。

この地を知るためには、ザイール共和国を知ってもらう必要が、ある。

ザイール共和国(République du Zaïre)、モブツ・セセ・セコが独裁者として権力を掌握していた。

ザイールは、1971年から1997年までの国名である。国名はコンゴ川のポルトガル語名であるザイール川に由来する。

その影響か、現在でもポルトガル料理、レストランが首都キンシャサでは、主流である。

大統領を務めたモブツ固有の個人独裁国家体制から勘違いが多く

モブツが、コンゴ民主共和国第2代大統領として就任した1965年がザイール共和国の建国であると見られているが、実際に国名変更を行ったのは1971年である。

モブツは1965年11月24日にクーデターで権力を確立した。その後モブツは、強い中央集権体制を確立し、植民地時代の名残を排除するため、

ザイール化政策を推進し、1971年にザイール共和国に国名変更をした。

モブツセセココは、完全な独裁者で王であった。 良く例えとして 女性の双子とふたりと

結婚した変質者であった。 

二度ほど お会い(見かける程度)する機会が、あったが、大金持ちぶりは、桁違いであった。とても強烈です。例えば パリのシャンゼリゼ中心にある 某有名な鞄本社ビルは

未だにモブツファミリーのものである。

ストーリーとしてはキリがなくあるので 続編を含めSNS ブログを含めて纏めて

版行するのも視野に入ってきた。 つづく






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